▼トリビア
ソラマメは祖先種も原産地も、まだはっきりしていませんが、野生種と思われるものが北アフリカからカスピ海南岸付近にかけて見つかっており、北アフリカや南西アジアが古里でないかと、考えられています。
特に、肥沃な三日月地帯と呼ばれるチグリス・ユーフラテス川流域で新石器時代に栽培化され、エジプトでも4,000年ほど前から栽培されており、ピラミッド遺跡からソラマメが発見されています。
地中海地方でもかなり古くから普及しており、古代ギリシアでの栽培記録や有名なトロイの遺跡から化石化したソラマメが見つかっています。恐らく盲目の詩人・ホメロスや彼の語る物語に登場する英雄達もソラマメを食べていたのでしょう。
古代ローマ、ギリシャ・ローマ時代から、人々の食卓にソラマメは登っていたのです。
中国へは2,000年ぐらい前に、中央アジア、シルクロード経由で伝わったとの説もありますが、現在の大粒種のソラマメはローマ時代の後期(6〜7世紀) に出現しており、中国へは12世紀末から13世紀頃に伝わった考える方が妥当でしょう。
日本への伝来は、奈良時代・聖武天皇の頃(729〜749年)、インドの僧・仙那が中国から来日した折り、名僧・行基にソラマメを贈ったとの伝説があります。行基はこれを兵庫県武庫村の岡治氏に試作させたそうです。
しかし、中国における大粒種の栽培は、宗の時代(979〜1270年)に入って、主に四川方面で栽培が始まりました。
僧・仙那が中国経由で来たのであれば、当然中国にもその種子がもたらされているはずですから、少し時代が合いませんね。
もっとも歴史上、こんな話は別に珍しくもありませんが。実際に記録登場するのは、江戸時代の「多識篇(1631年)」で、初めて蚕豆(ソラマメ)の名が出てきます。また、『農業全書』には「百殻に先立って熟し、青き時から莢ながら煮て菓子にもなり、また麦より先にできるゆえ、飢饉年にとりわけ助けとなる。
また、麦と合わせて飯にしてよろし、または粉にして、餅に作り食するもよし」と、その有用性が述べられています。
なお、18世紀初めには「近年外国から渡来したので、西国ではこれを唐豆(とうまめ)と呼ぶ」との記述があります。
さらに明治初期に多くのヨーロッパ、アメリカ系の品種も導入・試作され、これらの中から現在の品種の基礎が作りだされました。
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